VW クイックヒストリー


イバン
ハーストはファクトリーが正常に稼動するのを見守るだけでなく、
自らオーナーズマニュアルを書き、アフターサービスの部門も強化していきました。

リペアパーツ、修理用特殊工具、パーツカタログを各リペアショップに配り、
パーツリビルトプログラムにより、安価な修理を提供しました。

またVolks Wagen ディーラーシッププログラムを創りドイツ全土に
ディーラーを置く事によりスピーディーで確実なサービスを可能にしました。

これらの事が後にVWが世界に進出し、
成功を収める大きな要因になったと言われています。

1947年VWは新しいドイツ人のディレクターを探していました。

ハーストはハンブルグの友人にハインツ ノルドホフを紹介されました。

ノルドホフは元オペルのマネージャー、すばらしいオートエンジニアリングの知識、
セールスマネージャーの素質、ポジティブなキャラクターを持ち合わせた男でした。

おもしろいことに、ノルドホフは戦前 ポルシェ
People’s Car”
プロジェクトを強烈に批判していたうちの一人でした。

 

1948年一月。ノルドホフが新しいディレクターに就任し、
その後20年にわたり
VWを導いて行くことになります。

さっそく彼は新しいモデルの必要性を感じ、コーチビルダー、Karman(カルマン)社とHebmuller(へブミュラー)社にコンバーティブルのプロトタイプを作らせます。

カルマン社は4シーターコンバーティブル、
ヘブミュラー社はスポーツタイプの2シーターをそれぞれ完成させました。


ヘブミュラーのファクトリーは生産開始直後に火災に見回れ、
合計700台あまりで生産を打ち切らざるを得ませんでした。


現存しているヘブミュラーは、世界中で50台とも100台ともいわれていますが、
定かではありません。

 

つぎへ